ネタより大きいワサビ

ワサビ

船乗り時代のイタズラは数多くある。
その中のひとつにこんな話がある。

大西洋へマグロの買付に行った時のこと。
小生は時々、寿司をにぎって同僚や先輩に最高級のトロを振舞っていた。
自慢ばかりするものだから、機関部で酒飲みの高知県出身の田川さんいわく、
「東光君、たしかに寿司は上手ににぎっており、味も良い。
しかしあえて言えば、ワサビとのバランスが悪い」。

負けず嫌いな両人、素直に褒めあわない。

小生もまた、負けん坊、
「ハイ、わかりました」と、次は寿司のネタより大きなワサビを入れて出した。

さっそく口に入れられたその瞬間、目から涙をポロポロと出しながら、1分ぐらい、涙とワサビの辛さに耐えながら、これまた負けず嫌いが出て「うーん、おいしい!」と言われた。

無理をせずに素直に生きていきましょう…と思ったがいつも酒をごちになっていたので、心の中で大笑い。

土佐清水出身でもう85歳を過ぎておられるだろう。
ごめんなさい・・・ワサビ辛かったでしょう。

昔の経験

ドバイイメージ

現在、ドバイとの話し合いが、信用ある知人(コンサルタント)から紹介があり、地中熱換気システムの導入の話がある。ドバイ万博の施設はもちろん、現在整備中のバス停のエアコンの負荷の軽減にどうか・・・とのこと。

2400カ所に最高50℃にもなる気温でだれが考えてもできるはずがない。
しかし待てよ。
小生が若かりし頃、サウジ、バーレーン、ドバイ(その頃は何もない砂漠の荒野)を訪れた経験がある。
夜は気温が下がる。日差も30℃以上もある。湿度も低い。
ならば、私が考案したシステムであれば、年間を通じて賄えるのは半年。あとの3カ月はジオパワーシステムと水を熱交換パイプに噴霧させて直接冷却にて飽和温度まで下げて使い、残りの3カ月(40~50℃)の猛暑時期はエアコンを使えば解決できるではないか。

向こうの人は考え方が違う。
日本人は30℃となれば暑い暑いとさわぐ。
暑くて湿度が高い所は、湿度を太陽で取って解決する秘策を小生持っている。
これが解決すればノーベル平和賞がもらえるだろうか。
もらったら皆を引き連れて、ジャンボ機をチャーターして受賞にのぞもうかな。
夢の夢として不可能ではない。
昔、わるさばかりしてボロ船でドサまわりした効果があらわれて、わるさもまんざらではないな。

ケープタウンにて

船乗り時代・ケープタウン

先日、過去の写真集を整理していたら、20代前半(確か、22才頃)の写真が出てきた。(一番右上が私)
ケープタウンのテーブルマウンテンをバックに同僚との1枚である。
一番年下のクセに態度が一番デカい、生意気で扱いにくい若者であった。

同級で千葉県出身の三等機関士のA君と、海技免許のない自分との差を目の当たりにして、生まれつきの負けず嫌いの虫が動き出し、海技免許を取る決意をした頃のものである。今見ても、生意気で扱いにくい、やんちゃ青年であった。

皆さん、元気だろうか?
聞かん坊の東光は元気です。

中秋の名月

寺山に かかる満月
光々(こうこう)と
遠くに巣立てし
我が子又見ん

橋本 春子 作

これは小生が24~25歳の頃、母からの手紙の中にあった短歌である。
当時の船員は手紙・差し入れが一番の楽しみだった。40年以上も前のことである。

母は現在、93歳で健在だ。
久しぶりにゆっくりと中秋の名月を我が家で眺めていたらこの短歌を思い出した。
我が生家からお寺の山が見える様子を見て書いたのであろう。

先日、久しぶりに会ったが、いつまでも子供のことを心配していてくれる。
もう小生も68歳、親孝行は何一つしてないが元気で頑張ることが親孝行だろう。
さて、童心に帰って目的の達成に全力をそそぎたい。
気力を充分に持ちながら…。

カレーライスで、してやったり

カレーライス

年のせいだろうか。腰痛になる頻度が増している。
若い頃は5年に一度くらいだったが、最近は2年に一度くらいになっている。気合いの問題もあるだろうが…。

その時にお世話になるのがレトルトのカレーである。
カレーライスといえば思い出すのが、船乗り時代の大分のK・Kさん。スペイン領のカナリヤ諸島での長期航海時、カレーライスの好きな小生は喜んで食べていたが、K・Kさんは「橋本、お前は大衆向きやのう、俺はそんな簡単なのが大嫌い」と皆の前で言われた。

何くそと負けん気が出てカレーが出た日は必ず「Kさんはカレーが嫌いですよね」と念を押し、一年間食べさせなかった。

日本に帰港時、K・Kさんの奥さんに皆の前でわざと「Kさんはカレーが大嫌いですよね」といじわる質問、奥さんいわく「主人はカレーは大好きですよ」とのこと。
Kさん、皆の前で顔真っ赤、小生、してやったり。
せめてもの抵抗でほほ笑んだときでもあった。

意地の悪い負けず嫌いな小生であったことを思い出した。改めて川野清隆さんごめんなさい。
別世界で頑張っています。

鯨の肉に思う

先日、鯨の肉を食べた。
昔は当たり前だったが、今は高級品である。

鯨肉で若かりし頃を思い出した。
小生は18才より3年半、捕鯨船に乗船していた。南氷洋、北洋捕鯨と、内地操業があった。南氷洋2回、北洋1回で、あとは成績が悪かったので内地操業だった。

食事の時の話で岩手・宮城の話を懐かしがって話していたが、その次の日、あのような大地震が起こるとは夢にも思わなかった。

18才から20才くらいは宮城県の女川、鮎川、石巻等が基地となり、捕鯨に携っていた。懐かしいが、このような惨事、何と言っていいやら…。小生を知っている人もいるだろうが、半世紀前のことである。年老いておられ、無事だろうか。地域によっては壊滅状態である。あの地域は一つの町から隣まで山越えが多かった様に思われる。

手伝うこともできず、ただ呆然と見守るだけである。
少しでも被害が少なく、復旧も早く出来るよう、微力ながら協力させてもらいたいものである。
あの懐かしい港町の美しさを思い浮かべながら。

同郷

人気テレビ番組「劇的ビフォー・アフター」で、我がジオパワーシステムをご紹介いただいたのはまだ記憶に新しい。担当された建築士のお名前が、本間さんという。
私の友人で新潟県村上市に同じ苗字で「本間」という男がいた。もう65歳位になっているだろうか…。偶然にも先ほど紹介した「劇的ビフォーアフター」の本間さんも新潟の村上市出身と聞いたので驚いた。何かつながりがあるのだろうか。それとも赤の他人なのか…。

船乗り時代、友人のほうの本間君は普段はやったらやりっぱなしの男だったが、上陸すると別人のようだった。特に昔の船乗りの定番である飲み屋に行くと、ギターを片手に得意な歌を歌っていた。今でもはっきりと思い出す。飲み屋に行くとカッコイイ男だった。普段は私の方がカッコ良かったが…。

船の中 ダサい男も ギター持ちゃ
陸(おか)の流しも シッポまく
 

友人の本間君、今はどうしているやら。

寿司のワサビ

ワサビのきいた寿司を食べて、ふと昔のことを思い出した。

わさびのきいた寿司

私がまだ船乗りだった頃、第5幡州丸という4000トン弱の船でマグロの操業に大西洋のカナリア諸島のラスパルマスという港を中心として行動していた頃の話である。連日、自分の腕を自慢してマグロのトロで寿司を握っていた。

この頃、高知県の土佐清水市の田川という操機手がおられ、ある日、私のにぎる寿司にケチをつけた。
曰く、「東光のにぎる鮨は旨いが、ワサビが少ない!」と。
私は負けずぎらいの性分なので、親指大ほどのワサビを入れた寿司を握って食べさせた。

これを口に入れた田川さん、口の中でワサビがきいて何を言わず1分位経っただろうか…。
涙をポロポロ出しながら、「うーーん。うまい!」と負けん気を出しながらほめてくれた。
同じく負けず嫌いであるこの男のせめてもの抵抗であった。

田川さん、あの時は大変失礼しました。
いろいろと教えてもらっていたのに…。
酒と話の好きないい先輩であった。
お元気ですか?もうかれこれ80才位になっておられることでしょう。

仕事の効率

仕事の進め方にはその人その人、あるいはその業種によっていろいろある。こつこつと一つずつ積み重ねていく人もあれば、一気に完成まで昇りつめる人もあろう。小生は昔からこつこつではなく、締め切りが近付くと一気にテンションが上がり、仕事への意欲が高まり、完成度が増すタイプである。

小生がまだ船乗りの頃は船の整備に関しては必ず一発請負を申し出ていた。つまり3人で一週間かかる船倉の掃除などは上司と掛け合い、3人で3日で作業を完全に終了するのであとの3日のうちの2日は休ませてもらっていた。
また、小生は意地が悪かったので、他の人が仕事をしているところへわざと普段着に着替えて出向き、「俺は今から遊びに行く。皆は作業を頑張ってくれ」と言っては他人から嫌われていた。

小生とすれば、仕事は完成しているので内容はどうであれ会社としての目的は達成できているので何の問題もないとの当時の見解であった。今でも変わらず、要は、仕事については「時間」より「中身」が大事である。発明や創意工夫は、私に言わせれば、いかに楽をするかだと思っている。

皆さん、効率よく仕事をしましょうよ。要領男からの提案でした…。

大型化する台風

今年は台風が多く、9号が日本列島に上陸した。8月までは日本近海の海水温が高かったせいで上陸は少なかったが、台風といえば、若かりし頃の昭和38年の8月31日だったと思うが、長崎県の五島列島の福江島の荒川という所で内地捕鯨の操業中に出くわした大型の台風11号。

その日は鯨を5~6頭捕獲して荒川港に帰る予定だった。台風11号は通過する予定だったが、停滞して大変な目に遭ったことを思い出した。
操業中は青空が見え、風もなくおだやかだったが、あれが台風の目の中だったとは…。少し経つと大荒れとなり、鯨を船に抱いて帰港中だったが、チェーンは切れるは、波は船全体にかぶるは、生きた心地がしなかった。
所帯持ちは、ワッチ(当直)に入るのをしぶるし、人生今までの最大のピンチであった。あの時エンジンが止まったら、一巻の終わりであったが運は我々に味方した。入港する前には我々の船が遭難したとの噂もたっていた。

地球環境問題が台風の大型化に影響しているとのこと。ジオパワーシステムで省エネにつとめて少しづつであるが貢献したいものである。